1988年(昭和63年)10月19日 ロッテ対近鉄25、26回戦(最終戦)
2008年 11月 25日
このダブルヘッダーは、この年のパリーグ公式戦最後の2試合。
首位の西武と2位の近鉄は僅かに0.5ゲーム差。
近鉄の優勝マジック2で、このダブルヘッダーに近鉄が2連勝すれば、近鉄の8年振りのパリーグ優勝が決まり、近鉄が1つでも引き分ければ、西武のパリーグ優勝が決まるという大事な2試合だった。
ダブルヘッダーの第1試合、近鉄の先発は左腕の小野、ロッテの先発は右腕の小川。
ロッテは、1回裏に愛甲のライトスタンドへのツーランホームランで2-0と先制。
近鉄は、5回表に鈴木貴久のレフトスタンドへのソロホームランで2-1。
ロッテは、7回裏にライト前タイムリーヒットで3-1。
近鉄は、8回表に代打・村上の2点タイムリーツーベースで3-3の同点。
パリーグ規定により、ダブルヘッダーの第1試合は延長戦を行わない為、近鉄は9回表までに勝ち越すことが必要だった。
近鉄は、9回表に代打・梨田のセンター前タイムリーヒットで4-3と勝ち越し。
この時、2塁から本塁に生還した鈴木貴久のキャッチャーのタッチを掻い潜ったスライディングは、優勝への執念を表していた。
近鉄ベンチは、お祭り騒ぎになり、近鉄の中西ヘッドコーチと鈴木貴久が抱き合った。
1点リードの近鉄は、9回裏にエース阿波野が登板し、2死満塁のピンチを三振で切り抜けて4-3で勝利。
近鉄の優勝マジック1となり、首位の西武と2位の近鉄は、0ゲーム差に成った。
ダブルヘッダーの第2試合、近鉄の先発は右腕の高柳、ロッテの先発は左腕の園川。
ロッテは、2回裏にマドロックのレフトスタンドへのソロホームランで1-0と先制。
近鉄は、6回表にオグリビーのセンター前タイムリーヒットで1-1の同点。
7回表に吹石と真喜志のソロホームランで3-1と勝ち越し。
ロッテは、7回裏に岡部の右中間へのソロホームランと西村のセンター前タイムリーヒットで3-3の同点。
近鉄は、8回表にブライアントのライトスタンドへのソロホームランで4-3と勝ち越し。
ロッテは、8回裏に高沢のレフトスタンドへのソロホームランで4-4の同点。
8回裏に登板した阿波野は、高沢にカウント2-3から得意のスクリューボールを投げたが、それが甘いコースに入ったところを痛打された。
9回裏にロッテの有藤監督の抗議により、試合が9分間中断した。
パリーグ規定により、4時間を越えて延長戦を行わない。
残り時間から、近鉄は延長10回表に勝ち越すことが必要だった。
近鉄は、10回表に無得点だった為に勝ちが無くなり、西武のパリーグ優勝が決まった。
ロッテも10回裏に無得点で、最終戦は延長10回4-4の引き分け。
近鉄は、優勝マジック1まで迫りながら、あと1勝に泣いた。
パリーグ最下位のロッテは、最後の試合でプロの意地を見せた。
もし9回裏にロッテの有藤監督の抗議が無ければ、延長11回まで試合が出来たはずだ。
試合終了後、3塁側スタンドのファンに一礼して泣いていた近鉄選手達の姿が印象的だった。
私は、このダブルヘッダー2試合をテレビで観戦し、最初から最後まで近鉄を応援した。
この当時、西武の全盛期だった為、勢いが有る近鉄に優勝してほしかった。
近鉄の梨田捕手が、この年に現役を引退。
このダブルヘッダーが行われていた時、西武の森監督や選手達は、西武球場の1塁側ベンチでラジオを聴いて待機していた。
近鉄は、2004年(平成16年)にオリックスと合併して消滅したが、4度のパリーグ優勝を果たした。
しかし、4度の日本シリーズに全敗し、日本一に1度も成れなかった。
近鉄は、多くの個性派選手を輩出した記憶に残る球団だった。
近鉄OBの鈴木貴久氏と近鉄元監督の仰木彬氏は、数年前に他界された。
2人の御冥福をお祈りします。
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