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安全・安心な武雄市を作ろう 織田勉(おだつとむ) 44歳 O型 独身


by kisima13
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思い出のプロ野球の試合7

1978年(昭和53年)、セリーグは、広岡監督のヤクルトが球団創設29年目で初優勝。
広岡監督の管理野球で、ヤクルトは投打が噛み合った。
ヒルトン、MVPの若松、大杉、マニエル、杉浦を中心とした打線は、破壊力が十分。
エース松岡、左腕の安田を中心とした投手陣は、円熟期で充実していた。
パリーグは、上田監督の阪急が4年連続で4度目の優勝。
この年、阪急は前期と後期を連続で制する完全優勝だった。
盗塁王の福本、蓑田、高井、加藤秀、マルカーノを中心とした打線は、パリーグナンバーワン。
エース山田、ベテランの足立、速球派の山口を中心とした投手陣は、安定感抜群だった。
阪急は前年まで3年連続日本一という全盛期で、日本シリーズは阪急が絶対有利と誰もが予想していた。
この年の日本シリーズは、神宮球場が使えないため、ヤクルトのホーム試合が後楽園球場で行われた。

日本シリーズが後楽園球場で開幕し、阪急2勝1敗で第4戦を迎えた。
第4戦で阪急が勝つと日本一に王手を掛けるため、ヤクルトは負けられない試合だった。
第4戦は西宮球場で行われ、阪急の先発は完全試合を達成した今井、ヤクルトの先発は左腕の梶間。
阪急が前半から効率良く得点し、5回終了時で阪急が5-0とリード。
今井は5回までヤクルト打線を無失点に抑え、試合の流れから阪急の勝利は堅かった。
しかし、ここからヤクルトは反撃に出た。
ヤクルトは6回表に代打の永尾の内野安打とヒルトンのセンター前ヒットと船田のショートゴロエラーでノーアウト満塁。
3番の若松がライト前タイムリーヒットを打ち、1点を返して、なおノーアウト満塁。(5-1)
4番の大杉がショートゴロを打ち、さらに1点を返して、なおワンアウト1、3塁。(5-2)
5番のマニエルがファーストゴロを打ち、さらに1点を返して、なお、ツーアウト2塁。(5-3)
6番の杉浦がライト前タイムリーヒットを打ち、さらに1点を返して、5-4と1点差に迫った。
その後、両チームは無得点で8回終了時で阪急が5-4と1点をリード。
ヤクルトは9回表にツーアウトから代打の伊勢がショート内野安打を打ち、ツーアウト1塁。
上田監督はマウンドに出向き、10安打を浴びた今井を山田に交代させようとしたが、今井が続投を志願した為、上田監督は今井を交代させずにベンチに戻った。
ここで、1番のヒルトンがレフトスタンドに起死回生の逆転ツーランホームランを放ち、7-6と試合をひっくり返した。
大リーグを追われて日本に来たヒルトンの意地の一発だった。
結果的に阪急は今井を続投させたことが裏目に出た。
9回裏にエース松岡が登板し、阪急打線を無失点に抑え、ゲームセット。
ヤクルトは見事な逆転勝ちで2勝2敗のタイに持ち込んだ。

第4戦にヤクルトが逆転で勝ったことで、日本シリーズの流れがヤクルトに傾いた。
第5戦は勢いに乗ったヤクルトが勝って王手を掛け、第6戦は阪急が大勝して逆王手を掛け、3勝3敗のタイ。
第7戦は後楽園球場で行われ、ヤクルトが大杉のソロホームラン2本などで4得点し、先発の松岡が完封し、ヤクルトが4-0で勝利。
ヤクルトは、球団創設29年目で初の日本一。
試合後、後楽園球場のグラウンドは、ヤクルトファンで一杯になった。
広岡監督の管理野球のヤクルトは、上田監督が率いる全盛期の阪急を倒した。
新しい時代の到来だった。

第7戦の大杉の1本目のソロホームランは、上田監督の「ファールだ」という抗議で、試合が1時間19分も中断し、後年に語り草となった。

(佐賀県武雄市民 織田勉 35歳)

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by kisima13 | 2008-02-03 04:18 | 野球(プロ アマ)