佐賀県武雄市出身の2人の話
2008年 02月 15日
小中学校の時に野球をしていた彼は、龍谷高校でも野球部に入り、夜10時頃までの練習と朝の練習に励んだ。
当然ながら、朝は武雄駅発が6時台の電車に乗って高校に行き、夜は武雄駅着が23時台の電車に乗って帰宅した。
その結果、昭和63年に龍谷高校は野球の九州大会で優勝し、平成元年の春の甲子園大会に出場した。
長時間の練習という努力が実り、とても嬉しかったはずだ。
彼はベンチ入りして、甲子園の土を踏んで試合に出場した。
もし、彼が武雄青陵高校に合格して入学していたら、甲子園大会に出場していなかっただろう。
結果論かもしれないが、本人の希望通りに高校に進まなくても、プラスになった良い例である。
現在の武雄市長の樋渡啓祐氏は昭和63年に九大に合格したが入学せずに浪人し、平成元年に東大に合格して平成5年に総務省に入り、平成18年に武雄市長になった。
もし、樋渡氏が浪人せずに九大に入学していたら、彼は武雄市長にならず、平成18年度からの武雄市の歴史は変わっていただろう。
彼ら2人に「運命」というものを感じた。
(佐賀県武雄市民 織田勉 35歳)